MNLFの議長、ヌル・ミスアリの訴追の司法手続きを一時停止。逮捕状も一時停止され6か月間の実質フリーダムが与えられました。 ドゥテルテ大統領はすぐさまミスアリをマニラに呼んで会見ミスアリは6か月の縛られた期間であるがそれに感謝そして2013年サンボアンガ占領事件について謝罪。ミスアリはドゥテルテ政権の麻薬戦争などを賛成し、MNLFと政府の和平に一日でも早く貢献できたらと述べていました。
はい。まず、MNLFてなに? そんでミスアリって誰??って疑問があると思いますのでフィリピンのミンダナオ島でのイスラム過激派問題の歴史からお話していこうと思います。
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フィリピン過激派組織の歴史 MNLF、MILF、アブサヤフとは?
フィリピンは1516年、セブ島からスペインに支配されていたことは有名な話です。そこからスペイ人はキリスト教をフィリピンに広め、現在もフィリピンは東南アジアで唯一のキリスト教国家です。 しかし、スペインが到来しキリスト教を広める前にフィリピンにはイスラム教が広まり始めていました。10世紀頃からフィリピン南部・ミンダナオ島周辺にアラブの商人がやってきてフィリピンにイスラム教を広めました。その後、14,15世紀には南部にはイスラム教浸透しイスラム教の王国を築いたと言われています。 このイスラムブームはビサイヤ地域(セブ島らへん)また、北のルゾン島まで広まっていった。 その後、スペイン統治によりフィリピンには多くのキリスト教徒が浸透した。ミンダナオ島のイスラム教徒は最後までスペイン兵と戦い、スペインはミンダナオ島の一部のイスラム系の地域は完全に支配できなっかたらしいです。
スペインの統治が終わった後はフィリピンは19世紀末にアメリカの植民地になります。アメリカもスペイン同様、キリスト国家なのでキリスト教はますます広まり、アメリカはミンダナオ島にキリスト教徒を移住させキリスト教徒を急増させました。 第二次世界大戦後、フィリピン政府は独立宣言をし単一国家を目指します。しかし、その時フィリピンはスペインとアメリカの影響でキリスト教の国になっていました。 一夫多妻、離婚を禁止し、キリスト教国家を作ろうとしました。1960年には独裁政権をしたマルコス大統領がミンダナオ島に土地開発といい多くのルソン住民(マニラらへん)をミンダナオに移住させた。もちろんルソン住民はキリスト教徒なので宗教対立が起こります。 そのころミンダナオ島のイスラム教徒たちは自分たちの国が欲しいと立ち上がりフィリピン政府に独立運動を開始。
1970年ついに反政府のイスラム組織MNLF(Moro National Liberation Front)モロ・解放戦が結成。(モロはスペイン人がイスラム系の人々を呼ぶときに使っていたそうです) その時の初代リーダーが今回ドゥテルテ大統領と面会したヌル・ミスアリです彼はフィリピン大学の教授でしたがイスラム独立のために立ち上がりました。最大勢力は2.3万人の兵が MNLFの国旗
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1976年にはトリポリ協定で一時、政府とMNLFの戦いは停戦します。しかし、とのトリポリ協定の合意が気に食わない勢力が現れ組織分裂を起こします。そして1981年ついに組織分裂。MILF(Moro Iramic Liberation Front)モロ・イスラム解放戦線が結成。リーダーはサラマト・ハシム。当初の名前はアブバカル。1984年に正式にMILFと名を変えました。最大勢力は1.2万人。 ちなみに、これのMILF組織に従わなくなった強硬組織が有名なアブ・サヤフ。
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1989年、マルコス政権崩壊後、コラソン・アキノ大統領が「自治基本法」を成立させミンダナオ島に自治区を設ける憲法を作りました。その名もARMM(ムスリム・ミンダナオ自治ちいき)を設立。ミンダナオの地を自治政府にしたんですね。さて、13州9都市あるミンダナオ地域がこのARMMに加入する選挙が行われました。しかし、これに加入したのはたったの4州のみ。これに反政府組織は反発して平和にはつながりませんでした。その②につづく
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