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0から始まったフィリピン留学・留学スタート
ついに授業が始まった。朝8時から、最初のクラスはスピーキングのマンツーマン授業だ。自分は朝から自己紹介の練習を頭の中でしていた。
”My name is Sasagu Kusumi. I am Japanese. I like Philippines”.
これだけだ。
ついに授業の時間がきてクラスルームを探した。運がよくすぐ見つかったがドアを開けるのがとても怖い。「俺は今から英語をしゃべるんだ。練習してきた成果を出してやる。」
扉を開けると待っていたのは肌が薄黒い女の先生だった。自己紹介してください的なことを言われたと察知し、”My name is Sasagu Kusumi. I am Japanese. I like Philippines”.を先生にぶちまけた。その後何が起こったのかは覚えていない。先生が何を言っているのかサッパリわからず、授業のほとんどが電子辞書で単語の意味を調べることで終わっていた。
リーディング・ライティングの授業はもう「オワタ」状態だった。一番簡単な小学生が使うような教科書が読めない。ステップ1にも立つことができず、また電子辞書で単語をの意味を調べてその授業も終わった。データーベース3000の効果はなかったのか。いや、単語を覚えるのと、会話するのは全く違うという事を1日目で学んだ。
次の日、リーディング・ライティングの先生が新しい教科書を持ってきた。昨日使った教科書はもう使わないというのだ。本のタイトルは”Basic grammar”. その意味を電子辞書で調べた。意味は”文法”。その先生は自分があまりにも英語ができなかったので彼女の判断で1日で更に基本的なこのを学ぶ本に変えてくれたのだ。
最初のページは”Be Verbe”. ついにBe動詞を勉強する時がやってきた。もちろん英語でだ。※自分は英語で英語の文法を勉強したので、日本語で英語を教えることができない。なんともユニークな日本人だ。
その日から授業で中学1年生がやる文法を英語で学び、自習室で日本語で文法の仕組みをググった。2度手間の作業。しかしその作業が、その先生の熱心な教えが、今の自分の大学キャンパスライフを作ってくれた。
ちなみにその先生と1年ぶりくらいに再会した時は「ササ(自分のあだ名)と会話ができる!私はとても嬉しいよ。本当に頑張ったね。」と言ってくれた。涙がチョチョ切れるくらい嬉しかった。
0から始まったフィリピン留学・スパルタ校への移動
留学して1か月くらいがたとうとしていた。Be動詞の仕組みは理解したが全く喋れない。そして読めない。聴けなかった。ある日のリーディング・ライティングの授業で自分にBe動詞から教えてくれた先生がこう言った。
「ササ、スパルタ校に移動したら?」
当時いっていた学校はキャンパスがいくつかあり、スパルタ校は山の方にある学校だ。朝6時に全員起床し授業が始まる。授業に遅刻したら週末外出が禁止になる。校内では母国語禁止だ。そんなガッツリ集中して学ぶ環境に先生は自分を送り込んでくれた。
正直言おう。かなりキツかった。朝は苦手なタイプだし授業はかなりストイックだった。自分にとってはまるで刑務所の中で勉強しているようだった。しかし、そのスパルタ校生活が自分の英語力を急成長させた。
ルームメイトが英語ペラペラの韓国人でこいつがいい奴だった。サッカー好きの奴は、基本いつも一人で食事していた自分をいつも食事に誘ってくれた。会話はもちろん英語だ。自分が分からない単語は携帯でググって教えてくれた。
次第に友達も増えて飲みに出かけるようになった。留学して2か月、まだルームメイトが話しかけてくれることは分からないけど英語に対する恐怖は向上心と楽しさに変わっていった。スパルタ校は平日外出できないのでみんなが家族のような感じだ。なので英語で話す機会がかなり多かった。自分にとってはかなり良い選択だったと思う。
本気になった自分はスパルタ校に来て1か月後、前のキャンパスに戻るという事をマネージャーに英語で、一人で言えるまでに成長していた。
留学3か月目。
スパルタ校から帰えってきた自分の英語力は上がっていた。先生の言っていることがわかる。会話ができる。英語の文章もだんだん読めるようになってきた。英語って楽しいと思えるようになった。
英語を上達させるコツは単純だ。自信を持つことだ。留学はじめの自分は英語=苦手。この定義に取りつかれていたが、スパルタ校で良い友達に出会い、それが良い方向に変わったのだ。間違ったっていい。死ぬわけじゃないんだ。自分が英語を失敗した数は誰よりもある自信がある。ただ、チャレンジした回数は誰よりもある自信がある。
英語に対する自信はできた。しかし、自分のこの留学の本当の目的は何だったろう。自分の将来を探すためだ。英語はなんとかできるようになってきたが、心の中のムシャクシャはまだ残っていた。
0から始まったフィリピン留学・出会い
スパルタ校に移動する前くらいだった。自分のルームメイトが帰国し、新しいルームメイトがやってきた。日本人だった。しかも荷物がやたら多いい。匂いも汗臭い。彼はなんと10か月もここで留学するというのだ。見た目はオタクのようで不思議なオーラを放つルームメイトだったが、年も近いこともありすぐに仲良くなった。
ある日の夜だった。自分がいつものように自習室から部屋に帰ってきた時だった。あのルームメイトもちょうど帰宅して少し会話した。
自分:「どこ行ってたの?」
ルームメイト:「テキトーに外、何があるかなーと思って歩いてた。」
「こいつマジか。まだ留学して3日も立ってないのに外デビューかよ。」そう自分は思った。このルームメイトは初日にアヤラモールから学校までの2.5kmの距離を歩いて帰ってきたキチガイだ。そして今日は犯罪者がその辺に沢山いて野良犬も半端なく多いい夜道を歩いたというのだ。(自分の妄想)
自分:「どうだった?」
ルームメイト:「まあ汚かったよ。」
会話が小学生みたいなことは置いておいて、自分もかなり興味を持った。こんな安全すぎる語学学校の中でずっと自習していてもしょうがない。自分はもうBe動詞の仕組みが分かるんだ。自分の将来を見つけるためにここに来た。外の世界を見てみよう。
そう思い、次の日からルームメイトとほぼ毎日夜、外を歩きまくった。スニーカーは赤いビーサンに変わっていた。
0から始まったフィリピン留学・スラム街
ほぼ毎日外に出ていた僕らの行動力は半端なかった。学校の近くにあるスラム街に2人で突入した。殺人犯が今にでも出てきそうな場所だ。だが僕らはひたすらそのスラム街を歩いてある家族と出会った。
その家族の苗字は”モリ”といい、日本人が先祖にいるらしい。日本人の先祖がいるのに何故ここに住んでいるのかは置いておいて、この家族とは今でもたまに連絡を取るほど仲が良い。
出会ったその日に、「来週、年1度の大家族パーティーをビーチでするんだけど一緒に来いよ!」こんな事を言われて半信半疑でそのイベントに参加したのがこの家族と仲良くなるきっかけだった。お金を要求されることは一切なく、逆に沢山食わされ飲まされたのだ。フィリピン人独特の明るさというのを”胃袋”で感じた日だった。
その他にもこのルームメイトと探検した話は腐るほどあり、カルボンマーケット、パシル地域(セブで最も危ない地域)に夜中の2時に行ってみたり、テントを持って無人島に行ったり、とにかくセブのローカルな人たちと関わりまくった。もちろん会話は英語なので自分のスピーキング能力はセブのローカルの人たちが鍛えてくれたと言っても過言ではない。
普通の日本人は”経験”として”体験”としてローカルな人たちと関わることがほとんどだが(自分はそれに全く興味がない)、自分たちは”ビサヤ語(セブの現地語)が喋れないフィリピン人”として関わっていた。(日本人だから優しく接してくれた面はあるが)語学学校という柵を超えてローカルでこういう事を毎日していると見えない物も見えてくる。
0から始まったフィリピン留学・将来とは?
正直、フィリピン人の良いところだけではなく悪いところだって見えてきたものはある。(結構愚痴っていた時期もあった)そして何より日本が全体的に考えてどれだけ素晴らしいのかも考えさせられた。もちろん、日本人の悪い意味での異常さも考えされられた。語学学校の外を毎日出歩いて何が見えたか、フィリピンの何がどうのこうのとかをキレイごとで言うつもりはない。だけど、自分の将来に対する恐怖、焦りというのは自然にいい意味で変わった。
フィリピンタイムに洗脳されたのかはわからない。ただ、22歳になって、大学を卒業して、企業に就職しなければいけない的な定義に劣等感は感じなくなっていた。「人生一度切り!!」という薄っぺらそうな言葉は嫌いなタイプだが、それも合っているなと思えてきた。
このフィリピン留学で、もちろん英語の能力は身に着けた。(お伝えした様にかなり苦労し努力した。データーベース3000は終わらせた)だが、本来の自分の目的であった”自分の将来を見つける”というのはできなかった。
いや、これは自分みたいなタイプの人間は、ほぼ一生見つからないのだと思う。将来の目標というのは旅するだけでは見つからない。何か、今できることを頑張って実行し、それをあきらめないで、誰に何を言われようが継続し続けていたら偶然と運命と実力で現れる。言い方を変えれば将来は探すモノでなく自分で造りだすモノだと思うし、今後、次の世代の定義的なのはこんな感じになると自分は予想している。
これ!!という将来の目標にたどり着けるのはおそらく少数で、生きていく先で、これか?!に何となくなっていくのが大半の人のパターンだ。(だから多くの日本の若者が理由もなく大学に行き、就活をする)まあ、何が言いたいかと言うと、将来のことが分からないという幸せな悩みを抱えられる日本人の若者はとりあえず今、与えられたこと、できる事を誰よりも頑張り続ける事がポイントだ。
たまに逃げったていいとは思う。しかし、自分みたいにBe動詞から英語を学ぶことより大きな試練が待っている可能性もある。でもその先でもう逃げないでやり通して成功すればそれは素晴らしいことだ。
自分は現在、セブの大学で勉強している。(授業は全部英語)将来の具体的な目標は分からない。ただ、今自分にできること、与えられたことを毎日自分なりに頑張っている。(時々YouTubeでサッカーの動画を観まくってしまうが)努力して継続し続けるだけで将来が約束されるほど甘い時代ではない。だが自分を信じ、このくそ暑いフィリピンで頑張っていく。
全編読んでくださった方どうもありがとうございました。セブ島の大学入学のことや語学留学、オランゴ島バイクツアーのことで何かありましたらお気軽にご相談ください。
こちらの記事では、このセブ島留学の後、自分がどのような活動をしてきたのか、を記載しているので、よければご覧になってください!