フィリピンの過激派組織 MNLF/MILFの歴史つづき
1986年のARMM(イスラム・ミンダナオ自治地域)の加入に大失敗になかなかこの内戦に終止符を打てない政府は、1993年、ラモス政権がMNLFと停戦合意が成立。自治交渉の再開です。3年間の話し合いで1996年、ついに最終和平合意(Final Peace Agreement)が結ばれました。自治政府樹立を南ミンダナオで目指し14州に暫定的な政治機関、南フィリピン和平開発評議会(SPCPD)を設立。更にMNLFと政府軍の統合、MNLFのリーダーミスアリをARMM(ムスリム・ミンダナオ自治地域)の自治選の候補にしました(当選してます。) 南フィリピン和平開発評議会(SPCPD)設立2年後に同地区で住民投票、3年後に本格的にミンダナオ自治地域に加入する選挙をする予定でした。 しかし、住民投票は2度も延期、2001年には政府が待ちきれずMNFLの合意なしに選挙を実施してしまいます。その結果あらたに1州1市がARMMに加わりMNLFはガチギレですよね。そのためMNLFのリーダーミスアリがARMMの選挙で当選しても政府にたいするまた自治政府にたいする反発はおさまりませんでした。
ちなみに、ミスアリはSPCPD(南フィリピン和平開発評議会)の議長まで就任します。しかし、その時のアロヨ大統領はミスアリを自治政府から追放し反乱罪で起訴しました。一方のMNLFもさらに政府に対して攻撃を続けて戦いは一方に終わりません。
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一方のもう一つの勢力、MILF(Moro Iramic Liberation Front)モロ・イスラム解放戦線も忘れてはいけません。 実は2011年、アキノ大統領が日本に来日し日本政府の支援のもと8月4日に成田空港近くのホテルでMILFの最高指導者を非公式会合を実施。2010年に和平枠組み合意に達し、2014年3月、包括和平合意に達しました。 これにはMNLFは強く反発しています。2016年にバンサモロ自治政府を作ると掲げました。しかし、いま現在もまだ難航しておりこのバンサモロ基本法案(自治政府樹立の行政府細則などの詳細を定める超大切は法案)が認められれば一気に治安は改善されるでしょう。 アキノ前政権から続いているこのバンサモロ基本法案。ドゥテルテ大統領はこのバンサモロ基本法を成立させ、憲法を改正し、連邦制を導入するといっています。
と、まだ、現在も反政府組織と政府軍の対立は続いています。このミンダナオの問題が解決すればフィリピンの経済は一気に発展するでしょう。いまだ、ミンダナオのイスラム系組織の地域は治安が最悪でフィリピンの経済を底下げしている原因になっています。 一刻も早いミンダナオ島の平和を祈ります。
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